「木乃伊取りが木乃伊になる」のことわざの意味は、代表的なものとしては「ミイラ捜しの途中で行き倒れて、自分がミイラになる」に由来し、「人を捜しに行ったものが帰ってこずに、自分が捜される立場になること」や「人を説得しに行って、反対に自分が説得されてしまうこと」。
※ミイラは漢字で「木乃伊」と書く。57歳にて初めて知ったワ。
そんなちょっと間抜けな出来事が、エンジョイテニスを謳歌しているつもりの私達にも他人事ではないというお話。
※描写なしの飛ばし読みの感覚に陥る文章あしからず。
そもそも、テニスを始めたきっかけは健康を意識した適度な運動。
齢をとってくると、仕事優先と言うか、日々の生活に翻弄されて子供の頃のように無邪気に走り回る事もなくなる。
学生時代には、義務教育として与えられた学校空間下(※勉強はそっちのけ)の部活動で我武者羅に汗を流したのも、今となっては遠い昔の良き想い出。
ここで一般解釈として
学生アスリートは、言わずもながら「勝利」に拘るもの。
週末プレイヤーは、「健康」「趣味」「出会い」と思惑はそれぞれ。
しかし、そんな週末プレイヤーでも、週末を「エンジョイテニス」モットーに、コートの中を子供の頃のように無邪気に走り回っているのもつかの間(個人差は大いにあり)で、徐々に首をかしげるしぐさが増えてくる。
人は向上心の塊です。
多かれ少なかれ、上手くなりたいと思うもの。
「もっと上手くなって人前でも堂々とテニスを楽しみたい」
「もっと上手くなって上手な方達の仲間に入れてもらいたい」
「もっと上手くなって褒めてもらいたい」
「もっと上手くなって尊敬されたい」
「もっと上手くなって仲間に勝ちたい」
「もっと上手くなって異性にモテたい」※ここは大事だと思う。
「もっと上手くなって試合に勝ちたい」
しかし、ここには「健康」と言うキーワードが入ってこない。
「もっともっとテニスをして、健康的な身体を造りたい」とはね。
身体も鈍ってきたし、趣味も作りたいし、一石二鳥なのでテニスでもやろう。
コートを走り回る事で、知らず知らずに溜まったストレスの発散にもなるし。
老若男女が一緒に楽しめるテニスは、生涯スポーツとして最適だ!
と思い描いてた。
にも拘らず
肘を痛めたり、膝を痛めたり、脚を釣った、手首を痛めたりetc
ダブルフォルトが多い、バックハンドが返せない、ボレーがネットを超えない、前後左右のダッシュが遅いetc
試合に勝てない、大事なところで必ずミスる、ペアに申し訳ない、ぶざまな試合で落ち込むetc
こんな事を家(伴侶)に悟られると言われてしまう。
「だったら辞めたら」
先日、テニス仲間が大きな声で呟くのを聞いた。
「最近、テニスをする事にプレッシャーを感じてきた」※お~同士よ、おまえもか
結局これって
「ストレスを発散させるために行って、反対にストレスを溜めてしまうこと」なりけり。