決勝戦よりも盛り上がる予選。

私がお世話になっているとあるテニス団体では、年間24試合ほどのトーナメント大会が開催される。

そこでは老若男女が種目別にテニスを大いに楽しめる場を提供している。

 

テニスを始めてから2年目に恐る恐る参加した私にとっては、今ではモチベーションを保ち続ける場となっている。また、多くの方々とのコミュニケーションの場としても。

 

しかし、加盟して4年目になるが、未だに馴染めないと言うか違和感があることが。

 

ひとつは応援がとても静かな事。

学生時代に部活に入っていた者としては、スポーツにおける歓声応援はとても賑やかなものだった。

ところが、ここではあまり歓声や応援が無い。静か~に見守っている様子。

やはり応援があってこそ、より一層に試合らしさが醸し出されると思うだけに残念な気がする。

なので、当然のことながら私の歓声や拍手はとても目立ってしまう。

 

そして決勝戦に、観客や応援がほぼまばらな事。

観戦者は、数人の身内と運営関係者のみ。時には運営関係者のみの時も。

本来ならば、決勝戦まで勝ち進んだ二人の戦いを、尊敬と憧れの眼差しで観たいと思うもの。

また、どんな戦い方をするのだろうかと興味深く見届けたいと思うものだと。

しかし、現実はとても寂しい決勝戦。なんか週末の夕暮れ時に「閉場ぎりぎりまでテニスをひっそり楽しんでいる二人」みたいな錯覚に落ちるほど。

 

予選や本戦初番で試合に負けた方は、そそくさと家路に。

まぁ、たしかに午前中の予選で敗戦確定してしまえば、午後から時間を有意義に過ごしたいと思うのも解るけど。出来ればみんなで最後まで会場を盛り上げていきたいよね。

 

 

追記

予選敗退で午前中には帰れるのにも係わらず、他人様の応援で帰宅が遅くなっているとは私の妻は知りません。

知れてはまずい気がする。

 

原点回帰。

最近、勝つ(上手くなる)喜び以外に、楽しむ喜びを再認識した。

 

勝つことへのこだわりが強くなってくると、人によっては、気持ちの浮き沈みも激しくなってくるように思う。

また、結果を急ぎ過ぎると、目先の出来ばかりを気にして心にゆとりがなくなってくる。

あげくにはテニスから遠のくことも。※私は幸いしがみついてますが

 

もともとは、白球(黄色いけどね)を追う楽しさでコートを走り回っていたはずなのに。

イメージ通りに打てないと思い悩んだり、試合に勝てないと気持ちだけが焦り、ちょっと違う次元で白球を追うようになっている自分がいる。

 

探求心や向上心は上手くなるためには必要な要素だとは思う。

それ自体は決してネガティブな行為ではないけれども、過剰になってテニスが嫌になってしまっては元も子もない。

 

いつの間にか試合に勝つことが目的となり、テニス自体を楽しむという事が知らず知らずのうちになおざりに。

試合に勝って喜びを味わうのも素晴らしい事だけど、日々のテニスでも喜びを味わえないと。

 

何のためにテニスをやっているのか。

答えはとてもシンプルに。

 

 

迷った時のお約束事。

先日、とある大会に参戦し楽しいひと時を過ごしてきた。

 

種目はダブルス。

今回はとてもサーブの出来が良くてサービスライン際やコーナーに決まりまくる。

気分は何気にチリッチ。

 

嫌な思いはないけれど

私のサーブに対して数回程ジャッジが遅れ

対戦相手ペア同士が顔を見合わせ、「????、アウトかな?」

「・・・・、アウトです」

 

これが1組だけでなく2組目の試合でも。

露骨に迷ってるよね~。

そこは潔く「イン」ジャッジでしょう。

 

セルフジャッジのお約束事を守るのも、技量度量の為せる技かもな。