トング片手にピースサイン。
普段はラケットを握っているところしかお見かけしない久田コーチ。
朝から、コート横でいそいそと炭火を焚いてバーベキューの段取りです。
なんと微笑ましい光景(笑)
先日お客様のご要望で開催した「練習会&バーベキュー」企画が好評で、それを見てた生徒達からの要請とか。
ボールさばき同様に、焼き鳥さばきも、とても板についた身のこなしはアウトドアの達人を醸し出してます。
テニスの達人はコート外でも輝いてます。
ガットの張替え時期って難しい。
自分に合ったガットの選択や張るテンション数値等も含めて、張替えるタイミングや劣化の見極めがチンプンカンプン。
とあるスクールに通ってた時は、3か月に1回の割合でガット張替えキャンペーンがあった。
これは安易に「3か月に1回はガットを張替えましょう」というスクール側の押し売り。
長くても6か月で張替えないとダメだと笑顔で営業トーク。
そもそも、プロやアスリートと呼ばれる方々は一試合ごととか1日~1週間等、状況に応じて張替をされるそうで、我々とは全く次元が異なる世界。
ご多分にもれず、私も3か月でガットを張替えるものと洗脳を受けて、これが基準にある。
ガットは車のオイルと一緒で日に日に劣化する。オイル交換は走行距離(使用頻度)に関わらず劣化するので、目安は3000キロか3か月の定期的に交換が推奨とされている。
ガットも使用頻度に関わらずに定期的に張替が推奨されているものの、コーチによって意見はさまざまであり明確な期間推奨はなく、利用者の考え方や取り組み方に依存するところが大なので言葉を濁す。
食品に対するメーカーが推奨する「賞味期限」と「消費期限」に、どこか似てるよね。
美味しく食べてもらえる期限を賞味期限。
→良い打感を体感してもらえる期限。
安心して食べてもらえる期限を消費期限。
→ガットの役割を果たせる期間。
こう考えると、週末プレイヤーの大多数は「賞味期限」を意識しつつも、「消費期限」的な感覚でガットの張替え時期を無意識に捉えている人が多いような気がする。
最近になって、「それでも良いよな」と思う週末プレイヤーの回想。
※この回想は「賞味期限」の探求を諦めたことを宣言してます。
テニス専門雑誌の発売日を、何気に楽しみにしている週末テニスプレイヤー。
帰宅途中や仕事の移動中の合間に本屋を探してご購入。
しかし、これが結構スムーズにいきません。
発行日を過ぎると売り切れの店舗が多く、そこそこ大きな書店でないと確保出来ません。
もともと2~3冊しか置いてないのかと思うほど。
見逃しがちな真実としては、コンビニにはテニス雑誌はまったく取り扱いがないこと。
愛好家が激減しつつあるゴルフの雑誌はあっても、はたまた若者が興味を失いつつある車の雑誌はあっても、錦織ブームのテニス雑誌は置かれてないのです。
そもそもの母数に大きな開きがあるのか。
でも、スポーツの全世界人口で比較したら、テニス人口は3位と聞いたことが。
そうなると、全世界1位のスポーツは?
はたまた、日本国内での1位は? テニスは何位なの?
と、突っ込まれますよね。
詰めが甘くてすみません。※今度調べておくかは気分次第という事で。
いろんな物が揃っているコンビニ。
一般消費者の購買思考を十分に考慮した商品構成の一部となっている書籍コーナー。
これは収益商品と言うよりは人寄せパンダの位置づけ商品。
なので、人気コンテンツの雑誌が寄せ集められる。
ここに是非とも、テニス雑誌が食い込んで欲しい。
「アダルト」も良いけど、「テニス」もね。
そして、今回が2回目となる因縁の対戦。
テニスを40歳から始めたという「67歳のオヤジ」と、淡路島からやって来る「30歳前後の若者」の、とてもミスマッチのような対戦の再現です。
会場で、それぞれ二人を見つけるやいなや、ご挨拶と共に興味深い一戦のネタフリ。
「今日は、またあの方と当たりますね! とても楽しみにしてますよ」
67歳のオヤジ曰く
「いや~、またやわ。今度はけちょんけちょうんにやられるわ」
満面の笑みで謙遜ぶる陽気な詐欺師(笑)
30歳前後の若者曰く
「今回はリベンジです! 絶対に負けません」
よっぽど気合が入っているのか、今回は可愛らしい彼女同伴。
※これには陽気な詐欺師も大いにツッコミを入れてた。
・・・。
で、これだけ引っ張っておいて結論をあっさり申しますと
タイブレなしの7-6で「67歳のオヤジ」(愛称:陽気な詐欺師)の勝利です。
淡路島の若者は多少なりとも前回の反省を活かして丁寧なプレイを心掛けつつ要所要所で強烈なサーブやストロークを決めるも、しつこく相手のミスを待ち続ける67歳のオヤジの壁を打ち破ることが出来なかったのです。
結果としては、若者のエースの数よりもミスの数が上回ったという事ですが、それを導いた「67歳のオヤジ」(愛称:陽気な詐欺師)の執念のなせる業。
勝ち急がず、ただただ来たボールを返す事だけに集中しているプレイスタイル。(ポイントの合間は、大きな独り言で非常にうるさいですけどね)
ともあれ、リオオリンピック準決勝戦の錦織VSマレーに引けを取らないほどの見応えある一戦だった(笑)
おしまい。
(長文支離滅裂お詫び)
対する「30歳前後の若者」は、若者にありがちなイケイケのハードヒッターのストローカー。
そつなくスライスも熟すし、見るからに学生時代にしっかり基本を身に着けた感じです。
風貌はちょっとやんちゃな雰囲気を醸し出すも、プレイは至って寡黙。喜びも悔しさも内に秘めるタイプかな。
でも、気分に左右されやすいところは、見ててもわかり易い感情型。
そんな彼は、待機中は他の選手たちと少し距離を置いて座っているものの、話しかけると笑顔で応えます。
一見強面ですが、きっと心優しい若者だとふんでます。
今真夏に、この年の差も性格も全く異なる二人の対戦は、私の眼を釘附けにしました。
それぞれ二人の前試合をたまたま観てただけに、「動」と「静」の対戦だなぁ~っと、何気に自分の試合待機の隣接コートスタンドからて眺めていました。
それが途中からは、席を移動して観るやら、席を立った状態で観るやら、「お~!」と歓声が出るやらの興奮状態に。
試合はスコアだけ見れば「67歳のオヤジ」の一方的な展開ながら、1ゲーム事に接戦するも5-0のスコアまで若者は1ゲームも取れずに悪戦苦闘。
6ゲーム目にして、やっと相手の罠に嵌っていることに気付き理性を取り戻すも時すでに遅し。
強面の若者は、詐欺師のオヤジに1-6で敗戦です。
テニスって、やっぱり奥が深いというか戦略や心理的なものが凄く影響することを感じた一戦でした。
総合的なスキルで勝る若者が、カットショット(不格好なスライスショット)だけで繋ぐ老人に負けるとは。
大いに私に勇気と希望を与えた興味深い一戦。
これがなんと、またまた観戦することに。
つづく。
先日、とある草トーナメント大会での出来事。
草トーナメントには、思い思いにテニスを楽しんでおられる老若男女が集います。
学生のちょっとした腕試しから、社会人の運動会的なノリ、競う喜びにはまり込んだ等々。
また、草トーナメントは、試合だけでなく集まる人々を眺めているだけでも、結構楽しめる要素満点。そして、大会に2~3回参加すると顔なじみもでき再会する喜びも乗じてきます。
今回は、私が密かに注目していた対戦カードがありました。
テニスを40歳から始めたという「67歳のオヤジ」と、淡路島からやって来る「30歳前後の若者」の、とてもミスマッチのような対戦です。
過去に一度、この二人の対戦を観戦しました。
「67歳のオヤジ」は、強打はないものの、とにかくカット気味のスイングで繋ぐシコラータイプ。また口も達者で、対戦相手にも誘導作戦如く話しかけます。また大きな独り言も巧みに織り交ぜてきます。
時には、コート内に両膝両手をついてふさぎ込むこともあり、見てる方は「大丈夫か!?」と驚くこともしばしば。まさに劇場型スタイル。
しかし、人柄はとても憎めないオヤジなんです。
ここに対戦相手はまんまと嵌められてしまいます(笑)
「詐欺師」です。
私は67歳のオヤジを愛着を込めて呼んでます。
つづく。
前衛ポジションの醍醐味はラリーポーチにストレートアタックの捕捉。
「あっ、甘い球だ!」っと気付くも、ボールの通り過ぎるのを「ごめん」と見送ってしまう。
「あっ、来た!」っと身構えるも、ボールはこちらに向かってくるのが見えるのに、手が出ずそのまま胸で受け止める。
自分の近くを通るボールが見えているのに面に当てることが出来ないもどかしさが、手足の反応が鈍くなりつつある現実を垣間見る思いです。
悔しくもボールは見えてるだけにね。
まったく気付きませんでした。
屋内コート内の片隅に鳥の巣が!
しかも、地面から約1メートルほどの高さに作られていて、子供でも見下ろせるほどの場所に。
すでに巣立った抜け殻の巣の持ち主は誰だったのか?
雨風がしのげてさぞかし過ごしやすい住居だったでしょうね。
私も低層階派です。
高層階は、なんとなく落ち着きません。実は観覧車も大嫌いな高所恐怖症。
「こんな時に限って一番上で機械が止まる」「突然強風に煽られてボルトが外れる」「今、地震が起きたらどうなるだろ」と童心のように心が躍ります(笑)
普段は割とポジティブ思考も、高い所ではネガティブ思考にスイッチが切り替わる弱虫。
もちろん、友達を神戸ポートタワーの観光案内も下で待機派。
以前、テレビの特集であったのですが、高層階と低層階で違った環境下で生活する場合、人間の身体や精神状態に与える状況が異なるという内容。例えば赤ちゃんを育てるにも影響が出るとか。
肝心の内容は忘れてしまいましたが・・・。
ともあれ、この驚きの低層住宅には、もう来年は家主は戻ってこれないでしょうかね。
夏に見つけた柿の木。
久し振りに間近で観察すると前回より倍ほど大きく膨らんだ柿の実が・・・、3個だけ!?
夏に観察した時には、沢山の小さな青い柿の実が付いていたのに。
足元には、少し変色し崩れた小さな柿が落ちてる。
小動物の仕業? それとも、柿の木の自己判断!? それにしては減らしすぎでしょう。
もしかして、実を沢山付けるのが当たり前(良い木)と判断するのは人間のエゴか。
本来、子孫繁栄のために多くの実をつけて小動物に遠くまで運んでもらうという定説はあるが、熟す前に落ちてしまうって、これも正しい自然の摂理なの?
柿の木にとっては、毎年、実を沢山熟成させるたにめ栄養分を与えるも、土に栄養がなければ少数精鋭に切り替えるのか。
ともあれ、三つの実は健やかに成長して欲しい。